商売繁盛の神である「えびす」を祭神として行われる神社の祭事で、最も盛大なのは大阪の「今宮えびす」で、 商売繁盛を祈願して縁起物を飾った福笹が参拝者に多数買い求められています。「今宮えびす」で福笹を売る売り子は「福娘」と呼ばれ、水着審査のない美人コンテストという事もあって、毎年千人近い独身女性の応募者が殺到するそうです。その中から選ばれた約40名の「福娘」が、祭りに花を添えます。
さっぽろの雪まつりは毎年2月の第一金曜日より北海道札幌市内の3つの会場で一週間にわたって開催されている雪と氷の祭典です。雪で作った大小の像を中心にしたものですが、すすきの会場を中心に氷像も展示されます。
なお、札幌の2月の平均気温は-3.5℃。最高気温-0.3℃で最低気温-7.2℃なので、「さっぽろ雪まつり」の見学には十分な防寒対策が必要です。
春の訪れを告げる奈良の東大寺の「お水取り」は3月1日から14日までの2週間に渡って行なわれます。二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈ります。関西では子供たちに半ズボン、半袖の着用は奈良の「お水取り」が終わってからと言われるほど、重要な季節の変わり目の行事です。
京都の祇園で開催される「都をどり」は1872年に湯島聖堂大成殿での日本で最初の博覧会の余興として上演されたのが始まりで、両側に設えられた花道からおそろいの衣装を着けた踊り子が舞台に登場して観客を驚かせました。
以来、歌舞伎や源氏物語などを題材にして明治以来のスタイルを踏襲しながらその年の干支や話題に新たなる志向で、京都に春を告げる催しとして上演されています。
日本三大温泉のひとつである別府温泉の「八湯温泉祭り」。4日の夜に行われる「扇山火まつり」は扇山を一気に焼く山焼行事で八湯温泉祭りの最大のイベントです。また、5日の夜に千灯明が行われる別府公園は保育園児がこしらえたかわいいものから市民の温泉の恵みに感謝する大小の約1万2千個の灯明がずらりと並べられ、公園内の道路を幻想的に照らします。
日本最古のソメイヨシノ(1882年植栽)や、日本最大幹周のソメイヨシノ(約5m15cm)が花を咲かせて、北国に春の訪れを感じることができます。広前城の四の丸演芸場では様々な催し物があるほか、近隣の弘前市民会館では津軽三味線全国大会や津軽五大民謡大会などのイベントも開催されます。また、さくらまつりの期間中の特定日に、春ねぷた運行「じょっぱれ弘前」も行われます。 日本では桜が咲く季節には各地で「さくらまつり」が開かれますから、インターネットなどで調べてください。
京都の葵祭は正式な名称は賀茂祭で、京都市の賀茂御祖神社と賀茂別雷神社のふたつの神社で5月15日に行なわれる例祭の事です。石清水八幡宮の南祭に対し、北祭とも呼ばれています。
平安時代には、「祭」といえば賀茂祭のことでしたが、石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つで、庶民の祭りである祇園祭に対して賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れ、いつしか「貴族の祭」となりました。
葵祭は京都三大祭りの一つで、葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名です。斎王代が主役と思われがちですが祭りの主役は勅使代です。源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的です。
今日では「葵祭り」は貴族のお祭りではなくなり、平安時代の貴族の衣装に身を包んだ一般の子供たちが多数参加していて、その愛くるしい姿で見物人を喜ばせています。
「今は昔」…。歴史を伝承する事の大切さを感じる、お祭りです。
江戸総鎮守である神田明神が5月に行う祭事。江戸城内への参入を許された徳川将軍上覧の祭りであったため天下祭ともいわれています。 2年ごとに本祭と陰祭が入れ替わり、2009年は本祭の年。 神幸祭の神輿や山車、数千名による大行列、迫力満点の神輿宮入など、見どころいっぱいのお祭りです。
三社祭は東京の浅草神社の例大祭です。かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていましたが現在は5月第3週の金・土・日曜日に合同して行われています。浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の単独の祭りとして行なわれていましたが、神仏棄却によって浅草寺と分離してからは浅草神社のみでの祭りとなり、今日に至っています。
日光東照宮の春季例大祭は徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝の3基の神輿を中心に、1.200人規模の雄壮な行列が往復する時代を超えた様子は圧巻です。馬上から矢を射る流鏑馬の奉納や百物揃千人武者行列、御旅所で東遊びの舞、八乙女(さおとめ)の舞などが行われます。
「八乙女舞」とは、「神楽」のなかの「巫女神楽」に分類される芸能名で、今日でも日本各地で五穀豊穣と万民豊楽を祈る行事として広く行われています。
神田明神の「神田祭り」とともに天下祭と呼ばれている山王まつり。江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭り、大阪の天神祭りとともに日本三大祭に数えられています。日枝の舞の奉奏など、日本の歴史をしのべる行事が盛りだくさん!
760余年の伝統を誇る博多祇園山笠は博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事です。7月1日に福岡市内のあちこちに豪華な飾り山が公開されると博多の街は山笠一色に染まり、静と動が見事に競演する15日間が始まります。そして、7月15日の「追い山」で、クライマックスを向かえます。重量1トンもの舁き山を勇ましい掛け声と供に舁ぐ、"山のぼせ"の勇壮で豪快な男たちの鼓動と熱い魂は見る人たちに感動を与えます。
京都の祇園祭りは祇園神(スサノオ・牛頭天王)を祀る祇園神社に奉納される祭礼です。
「動く美術館」と言われる華麗な懸装品に飾られた山鉾32基が囃子を奏でながら、京都の大通り(都大路)をゆっくりと進む山鉾巡航(7月17日)が最大の見所です。
稚児が太刀を振り下ろして注連縄を切りって巡航は開始されます。ゆっくりと動く各山鉾は京都の人々が長年大切に守ってきた御神体とともに誇らしく通りを練りまわります。数百年の歳月にわたり脈々と受け継いできた晴れやかな「お祭り」の気分を満喫できるでしょう。
「祇園祭」を見学される際には「お祭り」だけではなく、京都の「町屋」の見学を強くお勧めします。中庭と高窓を生かして人工的に「風の道」を作くっている、エアコン不要の「町屋」の構造は必見です。
*京都は中国発祥の易学である「風水」に基づいて築かれた都市です。「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」が都を守っています。北東…鬼門の方向には比叡山延暦寺があり…。詳細は書き切れませんので、ネットで調べて下さい。
天神祭りは祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日の前後に日本全国で行われていますが、大阪天満宮を中心として大阪市で行われている天神祭は日本三大祭りのひとつで、25日の本宮の夜は大川(旧の淀川)に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火があがり、大川に映る篝火や提灯灯り花火などの華麗な姿により、火と水の祭典とも呼ばれています。
青森の「ねぶた祭り」は青森県青森市で開催される夏祭りです。「ねぶた」という巨大な人形の灯籠と、踊り手である「ハネト」、「お囃子」が三位一体となり、祭りを盛り上げます。「ラッセ、ラッセ」のかけ声に合わせ短い夏を迎えた喜びが町中に満ちあふれ、国内外から約300万人もの人が訪れ、賑わいます。なお、青森の「ねぶた」は東北の三大祭りの1つに数えられるビッグイベントです。
宮城県仙台市の「七夕祭り」は、8月7日を中日として、8月6日から8日の3日間にわたって行われます。大規模な飾り付けがされるのは一番町、中央通り、仙台駅周辺などですが、それ以外の商店街組織ごとの飾り付けや店舗や家庭など個別の飾り付けなど市内各地至るところに小から大まで合計3000本と言われる飾り付けがなされ、仙台の街中が七夕一色になります。人類最初のSF物語『かぐや姫』に思いを馳せては…。
よさこい祭りは高知県高知市で開催されるお祭りです。前夜祭の行われる9日には約4,000発の花火を打ち上げる高知市納涼花火大会も同時に開催されます。今日では高知の「よさこい祭り」は日本全国に広がり、多数の若者が参加する新しいお祭りになっています。青森の「ねぶた祭り」の「ハネト」や徳島の「阿波踊り」にも影響を与えている、庶民発祥のスーパーイベントです。
徳島県の阿波踊りは約500年もの歴史があり、徳島県(旧・阿波国)内各地の市町村で開催される盆踊りです。なかでも徳島市の阿波踊りが県内最大規模で最も有名であり四国三大祭り、日本三大盆踊りの1つに数えられています。三味線と太鼓に鉦や横笛などの2拍子の伴奏にのって踊り手の集団が踊り歩きます。女性は優雅に、男性は腰を落として豪快に踊ります。
地域の観光開発・活性化の為に25年前から「浅草まつり」が開催されています。夏のフィナーレを飾るイベントとして定着した浅草サンバカーニバルはパレードコンテストや、浅草公会堂での本場ブラジル人ダンサーを招聘した本格的なサンバショーなど、多くの方がサンバを堪能できるお祭りです。
チョットだけHっぽいトコが、人気の秘密なのでしょうネ?
おわら風の盆は富山県の富山市八尾町で行われる、富山県を代表するお祭りです。 越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを深夜まで披露します。編み笠と浴衣姿の艶やかで優雅な女踊り(踊り子は独身の女性のみで、既婚の女性は参加できません)。そして、勇壮な男踊り・・・哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了します。
沖縄のメインストリートである「国際通り」でのエイサー演舞。一万人が繰り広げる様は圧巻。「ウンケー」でご先祖様の霊をお迎えし、「ウークイ」で、家族や親戚で用意したご馳走やお酒をお供えし霊をお送りします。別れの夜に、三線の音色にあわせて唄を歌い、太鼓を叩き、踊って明るくお見送りをする重要な役目が「エイサー」なのです。 エイサー演舞は観光園の「玉泉洞」で毎日開催されています…必見!
鎌倉の鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)源 頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりです。現在の本殿は文政11年(1828年)、江戸幕府11代将軍「徳川家斉」の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに重要文化財に指定されています。「鶴岡八幡宮例大祭神事流鏑馬」は、文治3年(1187年)8月15日鶴岡八幡宮放生会に際して、源 頼朝が流鏑馬を催行したことに始まったと言われています。
多数の日本のお祭りが土曜、日曜に合わせて開催されるようになった現在でも鶴岡八幡宮例大祭神事流鏑馬は、9月16日 午後1時社務所大玄関前を出立し下拝殿において神事が執行され、午後2時頃より馬場入りが行われています。鎌倉時代の狩装束を着用した射手数名と、江戸時代の軽装束を着用した射手十数名が予定されています。残念ながら人材不足で射手の数は年々減少傾向にあるようですが、千年の歴史を体感できるお祭りです。
岸和田の「だんじり祭」は大阪府岸和田市で毎年秋に行われるお祭りです。5トン以上の重量があるだんじりを直角に方向転換させる豪快な「やりまわし」を見所として、多くの観光客を集めています。元々は岸和田藩の領民が岸和田藩主に岸和田城内三の丸稲荷神社に感謝した稲荷祭が起源です。現在では岸和田の各町のだんじりがそれぞれの氏神社に宮入りし、五穀豊穣・無病息災を祈願します。
長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼である「長崎おくんち」は、「龍踊」「鯨の******き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」など…。鎖国状態の江戸時代で唯一外国との交易を認められていた長崎。その長崎の最大の「お祭り」である「長崎おくんち」は中国、南蛮、紅毛文化を取り入れた外国の風合いを色濃く残した独特で動きの激しいダイナミックな奉納踊を特色としています。
京都の『時代祭』は平安神宮創建を盛大に祝うお祭りとして明治時代に始まった歴史の浅い行事ですが、今日では『時代祭』として葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の一つとなっています。毎年10月22日、明治時代から鎌倉時代にさかのぼる形でその時々の装束に身を包んだ人たちが京都御所から平安神宮まで練り歩きます。
鷲神社は天日鷲命と日本武尊をお祀りした神社です。現在は「おとりさま」として一般にも親しまれて、十一月の例祭は「酉の市」として広く知られています。酉の市は鷲神社の春を迎える神事祭礼で、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁昌をお祈りするお祭です。平成21年の鷲神社例祭「酉の市」は11月7日(日)が一の酉、11月19日(金)が二の酉です。三の酉がある年は火事が多いとも言われています。
「忠臣蔵」とは1701年4月21日、江戸城内で赤穂藩藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた刃傷沙汰に端を発し、加害者とされた浅野は切腹となり被害者とされた吉良はおとがめなしとされました。その結果を不満とする赤穂浪士47人による、本所・吉良邸への討ち入りとその後の浪士たちの切腹までの事件です。
日本人の精神に触れられるお祭りです。
明治神宮は東京都渋谷区にある明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社。初詣では日本の神社仏閣で一番多い参拝者があり、日本人の天皇崇拝の様子を垣間見る事ができます。1915年から神宮の内苑には日本だけでなく朝鮮や台湾から献木された12万本の樹木が植えられました。そして、1970年の調査では246種17万本になり、人工林が歳月の経過により自然林化した森として植物学者から注目されています。